あなたの想いが志免の元気に。
福岡県糟屋郡志免町のシンボル、旧志免鉱業所竪坑櫓(きゅうしめこうぎょうしょたてこうやぐら)の特設サイトです。竪坑櫓の歴史紹介やギャラリーを通して竪坑櫓の魅力をお伝えします。歴史的遺産を未来へ残していくための応援募金に関する情報もご案内します。
竪坑櫓
▲ 高さ47.65メートル、長辺15.3メートル、短辺12.3メートルの鉄筋コンクリート造り。櫓の上からは、志免の街並みが広がります
竪坑櫓
▲ 志免町総合福祉施設シーメイトの敷地内にあり、櫓の周りは多目的広場やなかよしパークなどが整備されています
竪坑櫓とは?
about tatekouyagura?
福岡県糟屋郡志免町にある【旧志免鉱業所竪坑櫓(きゅうしめこうぎょうしょたてこうやぐら) 】は、国の重要文化財に指定され、志免町のシンボルとして地域の方々に愛されています。竪坑櫓は、福岡市の東側に広がる糟屋炭田のほぼ中央に所在しています。櫓は、艦船用石炭及び海軍工廠等で使用する工場用石炭の採掘施設として、第四海軍燃料廠(ねんりょうしょう)採鉱課(さいこうか)の計画及び設計に基づき、昭和16~18年にかけて建設されました。櫓の中で最も発達した形式で「塔櫓巻型(とうやぐらまきがた) 」と言われ、 「ワインディングタワー」と称されます。石炭や労働者の運搬用のかごを昇降させる巻上機を櫓上部に設置する形式です。また、わが国近代の鉄筋コンクリート構造物の中でも有数の高さを誇る高層構造物であり、近代建設技術史上、価値が高い文化財です。
ケージと呼ばれるかごによって採炭夫の昇降、石炭の搬出をしていた施設「竪坑櫓」 。その巨大なビルディングは、今は静かに街の高台にたたずんでいます。この櫓の真下にまっすぐ、深さ430mの「竪坑」という穴が造られました。まるで金づちを立てたような形の櫓の中には、運搬用のかごを巻き上げる機械が組み込まれ、エレベーターのような役割を果たしました。地上9階、地下1階のうち、地上1階から5階までは柱と梁のみで造られ、6階以上には壁をつけています。8階部分には吹き抜けの大空間があり、巻き上げに使われた1000馬力のモーターが、休みなく稼動していました。
竪坑櫓
▲ 8階に当時のまま残る、エレベーターの階数表示板
第二次世界大戦終戦前に建設された同型のもので現存しているのは世界でも、志免炭鉱と龍鳳炭鉱(中国・撫順市) 、ブレニー炭鉱(ベルギー・リエージュ州)の3か所だけになっています。また、旧日本海軍や日本国有鉄道といった国が一貫して経営した、唯一の石炭産業遺産です。
旧志免鉱業所の歴史
history of tatekouyagura
応援寄附金
donation
「重要文化財」その歴史的価値のある建物を後世に伝えていくためには、補修などの費用が必要です。
鉄筋コンクリートでできた建物ですが、神社仏閣の重要文化財と同様に悪いところは取り換え、失ったものは復元し保存をしていかなければなりません。
「竪坑櫓応援寄附金」でお寄せいただいた寄附金は、貴重な財源として、竪坑櫓の保存に関する事業に使わせていただきます。
竪坑櫓
▲ 後世にも、志免町のシンボルとして愛され続けるようにご協力をお願いします。
寄附の手続きなどは、業務委託業者が運営するふるさと納税ポータルサイトでもお申し込みいただけます。下記のリンクからふるさと納税ポータルサイトへ移動できます。
竪坑櫓の設計
design
竪坑櫓軸組図 ※ 1
竪坑櫓
▲ 現在の櫓の中がわかります。8階部分にはモーターや滑車がありましたが今は外されています。
竪坑櫓各階平面図 ※ 2
竪坑櫓
▲ 6階から9階までは床と壁があり、昇降機の運転・維持管理などの作業が行われていました。
旧志免鉱業所竪坑櫓の設計者 猪俣 昇(いのまたのぼる)
旧志免鉱業所竪坑櫓の設計者
猪俣 昇(いのまたのぼる)
竪坑櫓
▲ 海軍技術大佐時代の猪俣氏
設計者の猪俣氏はヨーロッパ視察において、ドイツの最先端技術であるハンマーコップ型の竪坑櫓を目の当たりにし、大竪坑時代の幕開けとして、日本でも開花させようと本坑での開坑を計画しました。そして、本櫓の建築前にドイツの技術で建設された同型の撫順炭鉱龍鳳鉱業所東竪坑(中国・遼寧省)も参考にし、本櫓の構造を鉄筋コンクリートとして計画を立てました。龍鳳鉱業所東竪坑櫓は、昭和9年(1934年)に着工し、昭和11年(1936年)に竣工していますが(昭和41年(1966年)に閉山) 、構造は鉄骨構造煉瓦外装でした。
西暦 月日 経歴
明治29年(1896年) 8月14日 山口県防府市の岡村家に生まれる
大正11年(1922年)   九州帝国大学工学士合格
大正11年(1922年) 4月21日 海軍技手、燃料廠附(採炭部附・新原炭鉱着任)
大正12年(1923年) 4月30日 海軍技師、燃料廠採炭部員
昭和3年(1928年) 8月10日~1929年7月19日 欧米各国出張
昭和4年(1929年) 8月6日 海軍燃料廠採炭部員
昭和8年(1933年) 4月16日 海軍燃料廠採炭部業務科長
昭和13年(1938年) 11月22日 海軍燃料廠採炭部採鉱科長
昭和16年(1941年) 4月21日 第四海軍燃料廠採鉱課長(1942.11.1依願免)
昭和17年(1942年) 11月1日 海軍技術大佐・第四海軍燃料廠採鉱課長
昭和18年(1943年) 6月24日 竪坑開坑
昭和20年(1945年) 5月1日 海軍技術少将
昭和20年(1945年) 11月1日 予備役
昭和20年(1945年) 12月1日 運輸省門司鉄道局志免鉱業所長
昭和21年(1946年) 12月1日 退職
昭和44年(1969年) 3月2日 死去
明治29年(1896年)8月14日 山口県防府市の岡村家に生まれる
大正11年(1922年) 九州帝国大学工学士合格
大正11年(1922年)4月21日 海軍技手、燃料廠附(採炭部附・新原炭鉱着任)
大正12年(1923年)4月30日 海軍技師、燃料廠採炭部員
昭和3年(1928年)8月10日~昭和4年(1929年)7月19日 欧米各国出張
昭和4年(1929年)8月6日 海軍燃料廠採炭部員
昭和8年(1933年)4月16日 海軍燃料廠採炭部業務科長
昭和13年(1938年)11月22日 海軍燃料廠採炭部採鉱科長
昭和16年(1941年)4月21日 第四海軍燃料廠採鉱課長(1942.11.1依願免)
昭和17年(1942年)11月1日 海軍技術大佐・第四海軍燃料廠採鉱課長
昭和18年(1943年)6月24日 竪坑開坑
昭和20年(1945年)5月1日 海軍技術少将
昭和20年(1945年)11月1日 予備役
昭和20年(1945年)12月1日 運輸省門司鉄道局志免鉱業所長
昭和21年(1946年)12月1日 退職
昭和44年(1969年)3月2日 死去
※1,2 「志免鉱業所竪坑櫓」2008 志免町文化財調査報告書第17集
アクセス
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